歳時記

副住職の「歳時記」vol.11 2022年(令和4年)9月 秋季彼岸会

伊藤 悦央

聖号十称

毎日境内を掃いていると、樹木や花が茂り・咲き、散るといった自然の周期が分かってきます。現在は百日紅(さるすべり)の花が綺麗に咲いていますが、朝には沢山の紅い花が落ちていて、それを掃いている側からまたぽたぽたと落ちてきます。それでも見上げると木いっぱいに咲く花の姿があり、「こうも毎日掃除しているのに、なぜ花が無くならない?」と疑問が湧きました。調べたら百日紅という漢字が表す通り、7月~9月の約100日に渡り咲き続ける。また桜などと違い花が散った後も、同じ枝から新しいつぼみが開くのを繰り返すそうです。まさしく百日紅の「名は体を表す」所を毎日肌身に感じています。

取り除いてもすぐ溜まる塵(ちり)はよく人の煩悩に例えられ、掃除は身も心も清める大切な行いです。同時に健康な生活と良い仕事する為には欠かせませんので、お互いに頑張って勤めましょう。100日間美しい花を見せてくれる生命に感心しつつ、「しばらくは大変な朝が続くな」と思った自分もまだまだ精進してまいります。

どうぞ秋の彼岸は実りへの感謝と冬を迎える為に、今一度自身を整える機会になればと存じます。

至心合掌

副住職の「歳時記」vol.10 2022年(令和4年)7月 盂蘭盆会

伊藤 悦央

聖号十称

『善(よ)き地に善き種を蒔かんがごとし。構えて善人にしてしかも念仏を修すべし。これを真実に仏教に随う者というなり』

浄土宗の教えは、お念仏をお称えしたすべての人の極 楽往生が約束されていますが、亡くなるまで好き勝手に生きていいとは言われていません。法然上人は阿弥陀仏の慈悲を父母の愛のように、「善き子をも悪(あ)しき子をも育めども、善き子をば喜び、悪しき子には嘆くがごとし」と例えました。非常にシンプルで分かりやすいですね。自身では悟れないことを自覚し、仏によって救われるとしても、「出来ることはしましょう」という思いが大事です。他力本願だとしても、この「出来ることはやる」精神が浄土宗の特徴であり、良い点だと思います。あくまで自身の範囲でご無理のないように。人と比べる必要はありません。

お盆はご先祖様が帰ってくる日とされています。普段、ご先祖様に恥ずかしくないようにと律する私たちの思いは、善い行いをして阿弥陀様にお喜び頂くことに、繋がっているのではないでしょうか。

至心合掌

副住職の「歳時記」vol.09 2022年(令和4年)5月 大施餓鬼会

伊藤 悦央

聖号十称

前回の補足です。浄土宗の教えは専ら念仏をお称えすることが第一ですが、実際にはそれだけをしているわけではありません。ひたすらに一つのことのみをやり続けるのは中々難しいものです。

私たちは日常の仕事や勉強でも、効率のよい作業のために、程よくその内容や科目を変えたりすることを、ごく自然に行っています。これと同様で、色々なお経を読み作法をすることは、それがきっかけとなり、念仏をより一層お称え出来る手助けになると考えられます。

教えではこの念仏以外の行いを、文字通り念仏のお称えを助ける「助業(じょごう)」と言い、またお念仏は極楽往生が正しく定まる「正定業(しょうじょうごう)」と言います。読経を始め、座禅や写経、旅先でお寺を巡る行為すべてが「助業」であり、意味のない行いはありません。ただしあくまでも「正定業」が主であることは明らかですので、何をするにつけても、お十念をいたしましょう。

まだ安心できませんが、今回の施餓鬼会案内を始め、皆様と一緒に、お念仏をお称えする日常が戻って来ればと願うばかりです。

至心合掌

副住職の「歳時記」vol.08 2022年(令和4年)3月 春季彼岸会

聖号十称

今年の冬は寒いですね。お寺にいると、朝に桶や蓮華鉢の水が凍っているのを見て、「今日は本当に冷えるな」と感じます。年に数回あればいいのが、今年は毎日のように凍る時も。その冬も折り返しを過ぎて、あっという間にお彼岸の季節が訪れようとしています。

お彼岸はご先祖様を思うと共に、自分自身を見つめ直して精神を整える期間でもあります。新年度を迎える前と重なって、自身を思うにはいいタイミングです。また、お中日の春分・秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈みます。私たちが往生を願うお浄土を「西方極楽浄土」と言うように、沈みゆく太陽を見て「あの方角にお浄土の世界があるんだ」と思いを馳せるのもいいでしょう。夕日を眺めてお浄土をイメージすることは、「日想観(にっそうかん)」と言う修行法としてお経にも説かれています。日頃、私たちはただ念仏をお称えするのを第一としていますが、念仏をより一層お称えする手助けになると考えれば、意味のない行はありません。

コロナウイルスが猛威を奮っていますが、お気を付けてお参り下さい。

至心合掌