日常の仏教語(25)【機嫌】(きげん)
人に何かを頼んだり、助けてもらったとき、相手に迷惑をかけてしまったのではないかと思い、つい「ごめんなさい」「すみません」と言ってしまうこともありますね。相手の「機嫌」を考えて行動するのは大切ですが、考えすぎてしまうと、悩みの原因になることも。
・私たちが日常的に使っているこの「機嫌」という言葉は「息世譏嫌戒」という仏教の戒律(修行者が守るべき規律)が由来とされています。
・譏には「そしる」、嫌には「きらう」という意味があり、本来「機嫌(譏嫌)」は”人々からそしりきらわれること”を表していました。つまり「息世譏嫌戒」は、修行者の生活を支えてくれる世の人の機嫌(不愉快)に思うことを息(や)めさせる戒めというもので、その中では「酒を飲む」「五辛(においの強い5種の野菜)を食べる」など、人の迷惑となる行為が禁止されました。
・このように人々が嫌うことをうかがい知り、避けるということから「機嫌を取る」という現代の用法が生まれ、そこから機嫌は、気分や感情そのものを表す言葉になったとされます。
・何かをしてもらうことや、助けてもらうことは、相手に手間や迷惑をかけることにつながるかもしれません。そんな時は謝罪の言葉が出てしまいがちですが、それを感謝の言葉に置き換えることはできないでしょうか。感謝の言葉は双方の気持ちも前向きにし、より良い関係を築くきっかけになるはずです。
(引用:浄土宗新聞 令和6年4月号)