仏教用語

日常の仏教語(25)【機嫌】(きげん)

人に何かを頼んだり、助けてもらったとき、相手に迷惑をかけてしまったのではないかと思い、つい「ごめんなさい」「すみません」と言ってしまうこともありますね。相手の「機嫌」を考えて行動するのは大切ですが、考えすぎてしまうと、悩みの原因になることも。

・私たちが日常的に使っているこの「機嫌」という言葉は「息世譏嫌戒」という仏教の戒律(修行者が守るべき規律)が由来とされています。

・譏には「そしる」、嫌には「きらう」という意味があり、本来「機嫌(譏嫌)」は”人々からそしりきらわれること”を表していました。つまり「息世譏嫌戒」は、修行者の生活を支えてくれる世の人の機嫌(不愉快)に思うことを息(や)めさせる戒めというもので、その中では「酒を飲む」「五辛(においの強い5種の野菜)を食べる」など、人の迷惑となる行為が禁止されました。

・このように人々が嫌うことをうかがい知り、避けるということから「機嫌を取る」という現代の用法が生まれ、そこから機嫌は、気分や感情そのものを表す言葉になったとされます。

・何かをしてもらうことや、助けてもらうことは、相手に手間や迷惑をかけることにつながるかもしれません。そんな時は謝罪の言葉が出てしまいがちですが、それを感謝の言葉に置き換えることはできないでしょうか。感謝の言葉は双方の気持ちも前向きにし、より良い関係を築くきっかけになるはずです。

(引用:浄土宗新聞 令和6年4月号)

日常の仏教語(23) 【皮肉】(ひにく)

誰かの問題点を指摘しなければならない時、相手が傷つかないようにと配慮して遠回しに伝えることもありますね。うまく伝わってくれるといいですが、「皮肉」ととらえられてしまうことも。この「皮肉」、仏教に由来する「皮肉骨髄」という言葉が元になったとされ、禅を中国に伝えた達磨大師とその弟子との間に「皮肉骨髄の話」という次のような逸話があったと伝えられます。

―  あるとき、達磨大師が、4人の弟子に仏教についての質問をすると、弟子たちはそれぞれ自分なりに答えました。大師は1人目の答えを聞くと「お前は私の皮を得た、合格」と告げました。同様に、2人目は「肉」、3人目は「骨」、4人目は「髄」を得たとして合格を言い渡し、それぞれが自分の教えを受け継いだと認めました。

― このエピソードから皮肉骨髄は、「宗祖の信念・思想・人格などのすべて」を表す言葉と言われます。達磨大師は皮・肉・骨・随に優越をつけなかったともされますが、「皮肉」は「骨髄」に比べて体の表面に近いため、理解が浅いという批判として使われるようになり、転じて遠回しに意地悪く非難することを指すようになりました。

物事を言葉で伝える際、相手を思いやる配慮は大切です。しかしそれで表層的なことしか伝わらなければ、かえって誤解を与えることもあります。私たち自身、「皮肉」だけでなく「骨髄」までしっかりと伝えられるよう心がけたいですね。

(引用:浄土宗新聞 令和6年2月号)