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2021/03/31

副住職の「歳時記」vol.04 2021年(令和3年)5月 大施餓鬼会

伊藤 悦央

聖号十称

私たちが人間に生まれた奇跡。これをお釈迦様と法然上人は実に見事な喩(たと)えで表現しています。

まずお釈迦様が存命であられた頃。インドを流れるガンジス川のほとりにて、弟子の阿難(あなん)に足もとの砂をすくわせ言いました。「限りない数の生き物がこの世にいる。無辺に広がる足もとの砂のように。人として生を授かるのは、そなたのすくった手のひらの砂の数くらいだろう」(ガンジス川流域面積173万㎢ 日本の国土の4.5倍)

次に法然上人は、人として生まれることを「受け難き人身(にんじん)を受けて」とし、「梵天(ぼんてん)より糸を下(くだ)して、大海の底なる針の穴を通さんがごとしといえり」とおっしゃっています。梵天は遥か上空の天上界のこと。

自分が今この場所で、呼吸をしているだけでも正しく奇跡のように感じます。改めて考えると、「縁」という言葉以外に、私たちが人間以外の生命に生まれなかった理由があるでしょうか。まずは生きているだけで感謝です。ありがたき言葉を胸に自分が何をするべきか。焦らずとも共に考えて参りましょう。

至心合掌